初めて鬱・パニック障害になった時のお話
それは私がまだ23歳、24歳ぐらいだったかな?
私はその時、某ITブラック企業で超激務なお仕事をしておりました。
朝7時起床し、私のことが嫌いな上司に怒鳴られ、取引先からセクハラとストーキング行為を受け、超激務の仕事に追われ、23時に帰宅すると言う
地獄のような生活を一年ぐらい続けていました。
そんなある日のことでした。
突然片耳が時々聞こえなくなる症状が出ました。
病院で診てもらいましたが異常なし、ストレスか何かじゃない?と言うはっきりしない答えで何も処方は受けませんでした。
それから1ヶ月も経たないうちにひどくイライラしたり悲しくなったりするようになりました。
今までそんなことは起きたことがないぐらいの落ち込みとイライラで、手が震えたりメールの文字も読めなくなったりして、流石におかしいと思いました。
たまたまその時生理だったこともあり、PMSかもしれないと、精神科へ行きました。
お医者さんも、PMSかもしれないと言うことで2週間PMS用の抗うつ剤を処方してもらいました。
しかし、そのPMSの症状を起点にしたかのように、
次々と体調が悪くなります。
食欲がほとんどなくなり、体重が1ヶ月で10キロほど痩せました。
体が鉛のように重くなり、ひどい時は帰宅が困難になったり。
ひどい胸焼けと、息切れが高い頻度で起き、電車を途中下車することもしばしばありました。
そして、決めつけは不眠でした。
4、5日間はほとんど眠れませんでした。
一睡もせず仕事に行くため、疲労を回復させることができず、ジェットコースターのように一気に全ての症状が悪化しました。
人の話は頭に一切入ってきません。文字は読めない。吐き気と胸痛、眩暈、息切れが常にあってとにかく苦しかったのを覚えています。
希死念慮も「死にたい」という気持ちから「私は死ななければいけない、生きていてはいけない。存在すること自体がいけない」という考えに変わりました。
車、電車、コンロの炎、包丁、公園にたまにある大きな岩ですら、目に入った瞬間「これを使って死にたい」と衝動的に思うようになりました。
このまま何か事故とかで死ねたら、どれだけ楽だろうか。
なんでこんな苦しいのに、私は無能なのに生きなきゃいけないのかと思いました。
お医者さんからもらったPMS用の抗うつ剤を飲んでも、ついに全く効かなくなりました。
このままでは本当に死んでしまう。
そう思って、ふらふらになりながら病院に行き、再度診断してもらったところ、「パニック障害・うつ病です、仕事はやめてください」と診断されました。
お医者さんが大きなため息をついていたのを今でも覚えています。
かなり重いうつ病だったようで、「最悪入院になる」とも言われました。
(でも私はその当時うつ病じゃない、これは誤診だ。軽い自律神経失調症だって思ってました。これだけ症状が出てそう思ってしまってたのも病気の所為ですね・・・)
会社は休職しました。
休職したとき、上司から「何も相談してこないお前が悪い」と言われました。
いや、相談してたんだけどな、ストーキングの件も激務なのも・・・。
というか勤怠見ればわかることなのに・・・。
周りの人も言ってくれてたのにな。
ただその時は体調が本当に悪くて、話は耳で聞こえても頭には入ってこず、常に上の空だったので、何も言い返せませんでした。
結局、休職期間中に治せず、会社を退職することになります。
今思えばとんでもない上司だったなあ。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
次は精神科、心療内科ってどんなところなのか、
希死念慮が落ち着くまでなど治療過程を記事にする予定です!